ダンスが瞑想になるとき

思わぬ反響

2018年にインドのアシュラムに2か月ほど滞在していたことがあります。滞在していたアシュラムには、踊れるスペースと音楽がありました。

時々踊っていたのですが、思いがけず日々たくさんの人たちにダンスを賞賛されていました。

 

God dancer !

Amazing dance!

Meditative dancer!

I like your dance!

 

一人でぶらぶら歩いていると毎日のように見知らぬ人から話しかけられ、あなたのダンスが好きだとわざわざ伝えに来てくれました。自分の踊りのファンになってくれる人がたくさんいました。

 

私のダンスは凄いんですよ~。ということではありません。正直なところ自分がどうやって踊っているのかすら知りません。ダンスなど習ったことないし、そもそも私はダンサーですらない。 

 

音と一つになる

私の感覚にあるのは、" 音と一つになる " ということだけです。音には独自のバイブレーションがあり、自分にもバイブレーションがあります。

 

この音と自分のバイブレーションが共振共鳴した時、ダンスが自然と起こってきます。ダンスをしている感覚などなくて、ただ音と一つになっていること感覚だけがあります。

 

そして、音と一つになっていれば、身体は自発的に動き始め、結果としてそれがダンスになってくる。ただそれだけのことです。

 

音とつながっている瞬間はある種のオーガズミックな状態であり、何かを考えることもなく動きが宿っている身体を感じているだけです。だから、自分が踊っているというよりも自分の身体が勝手に踊っているのを見ている感覚に近いものがあります。 

 

踊ろうとする必要もなければ、誰かに見せる必要もありません。音とひとつになれば、ダンスは自然発生的に起こってくるのです。 

 

音に合わせるのではなく

けれど、フリーダンスの会などに行くと、多くの人が音楽が鳴ると同時に音楽に合わせて身体を動かし始めます。それが良いかどうかではなく、音に合わせている自分に気が付くことが出来れば、新しい領域が開かれてくるということです。

 

その為に必要なことは、音とつながる瞬間を感じながら待つことです。しかし、待つということができずに自分から動き始めてしまうのがマインドです。ダンスが起こるのではなく、自分がダンスをしている。この状態が音に合わせているということです。ここに気付くことができるかどうか。

 

セクシャリティにおいても、男のバイブレーションと女のバイブレーションが共振共鳴が起こる状態と異性に合わせるのでは明らかに境地が異なります。

 

共振共鳴が起こってオーガズミックな状態でいる時は、どうやって動こうかと考えることはできなくなり、自発的に身体が動いているはずです。ダンスにも同じことが起こってきます。

 

内側から湧き出る魂の踊り

大切なことは音とつながることであって、踊り方など知らなくても大丈夫です。音とつながることで宿る動きがあれば、それはベリーダンスで習得した動き、ヒップホップで習得した動き、舞踏で習得した動きとは異なるものになるはずです。

 

外側から習得してきたものとは、異なる内側から湧き出てくる自然な動き。そして、内側から湧き出る動きには、正しいとか間違っているということがありません。

 

これが美しくてこれが美しくない、これが難易度が高くて、これは難易度が低いという基準になるものはなく、それぞれの個性が現れて独創的な動きをすることになります。

 

だから、人の踊りを気にすることにも意味がなくなり、ただ自分自身であることが問われるようになります。

 

世界中どこにいっても踊りのない民族はないと言われています。特にシャーマニックな儀式やご神事においては、必ずと言っていいほどに踊りが用いられます。これは、自然な動きが宿っている踊りの中に神なる何かを見出すことができるからなのでしょう。